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第958回 11月例会御案内

日 時    平成24年11月4日・第1日曜・晴雨共・午後1時半集合
         
集 合     泉涌寺山内・即成院(泉涌寺総門の前)集合
解 散     泉涌寺にて午後4時半頃の予定

講師      齋藤忠一氏 京都林泉協会副会長    

見 学     泉涌寺(せんにゅうじ)の文化財 
◎ 泉涌寺 
  泉山と号する真言宗泉涌寺派の大本山。東山三十六峰の一嶺、月輪山の麓にたたずむ泉涌寺は、皇室の菩提所として、また諸宗兼学の道場として、壮麗な堂宇が甍を連ね、幽閑脱俗の仙境、清浄無垢の法城となっている。鎌倉時代初期に宋から帰朝した俊じょうが、久しく荒廃していた法輪寺を再興し、名も泉涌寺と改めた。俊じょうの弟子湛海も入宋して多くの文化財を請来し、泉涌寺の佇まいに多大な影響を与えた。
◎ 即成院  泉涌寺総門の北側
  光明山と号する真言宗泉涌寺派の寺院で、正暦3年(992)に恵心僧都が伏見に建立した光明院をはじまりとしている。関白藤原頼道は宇治に平等院を建てたが、その子、橘俊綱も寛冶元年(1087)に伏見桃山に広大な山荘を造り、光明院を阿弥陀堂として移設した。その後、豊臣秀吉の伏見桃山城普請に際し、伏見大亀谷に移築させられたが、明治維新の廃仏毀釈で無住となった。そのため泉涌寺塔頭の法安寺と合併し、明治35年(1902)に現在地に再興された。
◎ 戒光寺  泉涌寺総門を潜ってすぐ北側
  鎌倉時代安貞2年(1228)、宋から帰朝した浄業曇照が大宮八条の東堀川の西に創建し、後堀川天皇の勅願所となった。その後、一条戻り橋の東に移り、更に三条東を経て、正保2年(1645)現在地に移され再興された。
◎善能寺
   この寺はもと八条油の小路にあって二階観音堂といっていたが、弘仁14年(823)、弘法大師が稲荷明神を祀る寺として善能寺と号された。日本で最初に祀られた稲荷大明神という。天文24年(1555)、後奈良天皇の論旨によって泉涌寺の護持院として当山内に移り、稲荷信仰として栄えたが、今はひっそりとして訪れる人も少い。
本堂 ・祥空殿  木造宝形造り。設計は建築研究協会の大森健二氏。昭和47年7月竣工 。
 昭和 46年(1971)7月3日、北海道横津岳に於いて遭難した「ばんだい号」の遺族谷本庄蔵氏が、全航空殉難者の慰霊と事故の絶無を祈願して建立寄進された御堂。
庭園 ・仙遊苑 池泉観賞式(涸)・一部枯山水 昭和47年 重森三玲作庭 
本堂前の三尊石組の中尊に俳匠萩原井泉水氏が航空殉難者に手向けられた供養の句、「南無観世音 藤はようらく 空に散る」と刻まれている。
この庭に使用されている百二十余の阿波石は、徳島の西尾秀蔵氏より寄進され、また作庭は、日本航空・東亜国内航空両社の寄進によって作られた。
 

会 費       例会費           3,000円也
            臨時参加は        500円増
         

申 込     11月2日(金)午後7時迄に、電話(佐藤携帯も可)又はFAXにて申し込
           んでください。 留守番電話の時は、用件をお話し下さい。

      
  ※ 当日泉涌寺では「解脱会法要」が行われ、駐車場は関係車両で満車となりま
    
すので自家用車での参加は御遠慮ください。
              

     京都林泉協会事務局 
       〒 606-8325京都市左京区聖護院東町1番地
     電話・ FAX 075―751―0905
     佐藤昭夫携帯(例会当日の緊急連絡も) 090−5891−5628